自己観察:自分が与えたものしか返ってこない

    
観るのは自分
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自己観察:自分が与えたものしか返ってこない

 

こんにちは、自己観察の専門家

平野香緒里です。

 

 

2009年の出来事をリアルタイムで
自己観察をして気づいた体験談です。

 

 

(私ってひどい〜〜〜!!!^^;)

 

 

そのまま載せますね。

 

お役にたてれば幸いです。

 

 

 

 ゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+. ゜+.――゜

 

私は怒った。

 

4歳の娘が賃貸なのに白い壁紙に

赤と黒のぺんで落書きをしてしまった。

 

またまたやってくれました。

 

その日、最初は

大きなホワイトボードで絵をかいたり、

 

いろいろ思うまま

落書きをして楽しんでいた。

 

以前まで画用紙やA4のコピー用紙に

いろいろと絵を書いていた。

 

 

もっと大きいのがあれば、

もっとのびのびと書けるだろう!

 

と思っていたので、

去年の娘へのクリスマスプレゼントは、

アメリカ製の大きな畳半畳くらいの

ホワイトボードにした。

 

 

 

なのに、なのに・・・・である。

 

 

「なんで、白い壁にそれも広い範囲で、

 

それもぺんで描いちゃうのよ~!」

 

「なんのために、サンタさんは

大きなホワイトボードを

プレゼントしてくれたのよ~!」

 

 

「ここでママは、お仕事もするんだよ。

 

どうするのよ~!」

 

 

 

うちでヒーリングの講習をやるときは、

ダイニングテーブルと隣の部屋を

ヒーリングルームとして使っていた。

 

 

このダイニングがあるスペースは

とても大切な場所なのに。

 

 

思わず娘を責め立ててしまった。

 

 

それに白い壁紙だけでなく

木の部分にまで、

ぐちゃぐちゃと描いてしまっている。

 

 

はぁ・・・・!もう、何なのよ~

 

 

と頭を抱えた。

 

 

娘もさすがに、私に怒られたあと、

自分が悪いことをやってしまったことに

氣づいたらしく神妙にしていた。

 

 

観るのは自分

 

 

私はかなりのニラミをきかせて怒っていた。

 

でもやっぱり、聴いてしまった。

 

 

「楽しかった?」

 

「うん!楽しかった~!」

 

「わからないで壁にも描いちゃったの?」

 

「うん。わからなかった」

 

 

わからなかった・・・・・って もう~

以前にもあった。

 

 

 

その時は布団に

オレンジ色のペンで落書きをした。

 

 

その時も頭を抱えたが、

布団だからしまえばいい。

ふだん人に見せるものでもないし、

 

あれはあれでしょうがない。

 

 

でもでも、今回はそこで仕事もする

リビングダイニングの壁紙だ。

 

 

私のいつもいるスペースで

すっきりキレイにしておきたいところだ。

 

 

もういくらすっきりキレイに

片付いていたって、

この黒と赤のぺんで描いた

ぐちゃぐちゃの落書きが壁にあったら

台無しじゃないのよー

 

もう本当に深いため息をついた。

 

 

何の鏡なのよー

あぁ~~もう。

 

 

 

この「怒り」が「感謝」に変わったらすごい!

 

 

 

 

何でこの望まない現実をつくっているの?

 

 

あなたが現実を創造している

超本人なんでしょう?

 

 

という声が聞こえてくる。

 

 

冷静に振り返ってみた。

 

 

正に娘が、白い壁紙にぺんで

落書きをしていたとき、

 

私は同じスペースにいて

私はブログを書いていた。

 

 

「人に迷惑をかけてはいけない」

 

という自分の中にある価値観について

書いていた。

 

 

それを書いている最中に娘は、

落書きをしていた。

 

 

私が書いていた

 

「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観はいらない

 

 

手放そう・・・・

 

大きな氣づきがあった!

 

なんてなんだかえらそうに書いている。

 

 

そのそばから

 宇宙に同時に

 

「それホント?ホントにホント???」

 

と見せてもらっていたのだ。

なんだかこの光景・・・・

 

 

客観的に観たらものすごい面白い。

あのブログを書いている最中に、

赤と黒のペンで壁に描いた落書きに氣づき

娘を怒っていた。

 

 

 

ブログに書いていたこととは

 

「別のこと」として

我を忘れて、娘に対して怒り責めていた。

 

 

目の前に起こるすべての出来事は、

自分の発する(与える)考え、思考に気づき

自分が意識の変容を遂げるために

 

宇宙がそのまま

 

「あなたの考え、思考、発した(与えた)

 

エネルギーはこうですよ」

 

とみせてくれる。

 

 

だったら、

 

私の望まない現実を創った、

 

もとになる思考はなんだったのか?

 

 

ホワイトボートに絵を描き始める前に、

 

私が「これやってね」と言ったことに対し、

 

娘は「やだよー」と言っていた。

 

 

そして何か質問しても

 

「そんなのできるに決まってるじゃん」

 

とか言う。

 

 

私は

 

「もうそんな言い方するんだったら、

もうママは1人で寝るよ(娘とは寝ない)」

 

 

と言っていた。

 

脅しの言葉である。

私は娘にとって嫌な言葉を

わかってて使っていた。

 

 

 

娘にとって嫌なことを私がしていた。

 

 

そう、確信犯。^^;

 

 

 

だから、娘は自分では

 

壁に落書きをしていたときそれは

 

「いけないこと」との

自覚もなかったけれど、

 

ちゃんと私にとって嫌なことをしてくれた。

 

私が与えたものがそのまま返ってきた。

 

 

「人が嫌なことをする」ということ。

 

 

 

ちょっと前の時期に、

娘に対してそういう言葉を使って

コントロールしようとしたり、

 

自分が娘が言われたら嫌だと思うことを

わざと言うのは止めようと思ったのに、

 

結局反省だけだった。

ブログで私はその時、こんなことを書いていた。

 

 

 

  。。・。。・。。・。。・。。・。。・。。・。。・

 

 

自分が与えたものしか返ってこない。

行為だけではない。「思い」も創造のエネルギーだ。

 

 

何をしたかだけではなく、

どんな思いをこめてそれをしたかということで、

受け取るものも全然ちがうのだろう。

 

私は歓び、愛、楽しさしか創造しない!

 

    。。・。。・。。・。。・。。・。。・。。・。。・。。

 

自分でもしっかり書いているじゃない。

もう笑ってしまうほど、

 

真理はゆるぎないシステムだということだ。

私がどういう思いを持っていたから、

 

自分の望まない現実を受け取ったか

はっきり理解できた。

 

 

自分の発信したものを受け取るということ

 

 

望まない現実をつくる方では、

ある意味すぐに現実に反映されるのだから、

 

 

「望む現実のを創る」方に

 このシステムを使えばいい。

 

 

システムが確実であることは、

 自分の体験からもわかっているのだから。

 

 

そんな大切なことを教えてくれるために、

 

娘はわざわざ賃貸のお部屋の

白い壁紙に赤と黒のぺんで落書きをしてくれた。

 

もう娘に対して「脅し」はやめよう。

 

 

脅しの言葉を使うということは、

人をコントロールしようとしていること。

 

 

娘に対して

自分(親)の言うことをきくべき存在だ

 

と思っていたのだ。

 

 

 

完全な魂として扱っていない。

 

これも「差別」だ。

 

 

 

ふだんえらそうなこと言っているのに。

 

わかったようなこと言っているのに。

 

私が娘に「これやってね」と言ったことは

 

素直に「はい」とやって欲しいのだ。

でも自分はそうしてるか?

 

師匠から「こうした方がいいですよ」と

アドバイスいただいたことに対して

「でも、だって、けど」と

 

言い訳や屁理屈の言葉をよく言っていた。

 

 

素直に「はい」と答えて

行動することを娘にだけに求めてる。

 

 

これも「差別」だ。

 

 

私をそのまま見せてくれている。

すべて「鏡」だ。

 

 

自己観察をしているうちに 、

娘を責める気持ちはもう無くなった。

 

 

自分が全て創造している現実に対して、

娘を責めるのは創造主としての

自覚がないということ。

 

 

自己観察をする前は、どうみても、

白い壁紙に落書きをした娘が悪い!

怒られて当然!と

 

 

相手にフォーカスしてしまっていたけど、

やっぱり、自分に向け直さないと

 

何にも氣づけない。

 

 

自己観察は本当にすごい。

 

 

自己観察を書き始めたとき、

 

今日のこの「怒り」が「感謝」に変わることは

今日ばかりは想像できなかったのだけど、

 

やっぱり感謝に変わっていた。

 

でもこれも、氣づいたといっても

わたしの「脅し」で言うことをきかせようと

(人をコントロールしようと)する私が

出没する限り同じことが繰り返される。

 

 

 

でも、だから今日の象徴的な出来事が

宇宙に

 

「脅しをしているとこういうことが起こるよ。

 

次はもっとすごいことになるかもよ」と

 

 

 

逆に脅されているのかな(笑)

 

 

いやだ、いやだー。

 

 

そんなの。

 

 

 

おどさないでー!!

 

 

はい。娘の気持ちもわかりました(笑)

 

 

朝娘が起きたら、

 

おどしでなく、怒ってでなく

ただ「家の壁には落書きしないでね」と言おう。

 

ありがとうを言ったあとに。

 

そして

 

 

私が「昨日はありがとう」と言ったので

娘はその次の朝、きょとんとしてました。

 

 

「ママはいろんなことがニコのおかげでわかったよ。

いっぱいお絵かきしてもいいんだけどさ、

 

 

絵を描くのはこのホワイトボードと紙だけにしようね。」

 

と言うと

 

 

「はーい」(^^)

 

あら!なんかとっても素直だ。

こっちが怒ってなくて、

心が平安な状態で、

 

 

 

ただ「伝えたいこと」を言えば

伝わるんだなと思いました。

 

「怒り」心頭のまま言葉をぶつけるから、

にくたらしい態度で言葉が返ってくる(笑)

 

 

 

「やだもん、もーん。べー!だ」

 

という娘はかわいいけどにくたらしい。

 

一方では、ママのお腹の中にいたときに、

 

白い紙を開けたら「サイコー!」と書いてあったよ。

 

ママはサイコー!だよ♪

 

とか言ってくれる(^^)

 

 

私は、この娘との生活でものすごく

覚醒していける機会を

いただいているのだと思います。

 

感情が起こってくる度に、

自己観察を丁寧に精妙にしていけさえすれば。

 

 

みんなそうなのですね。

その人が一番覚醒しやすい環境に

みんないるということですね。

 

 

 

そしてまだ続きます・・・(長いですね(笑))

 

 

後日その素晴らしい事件と

氣づきがあったあと、

壁を見ても嫌な感情が

湧いてこなくなりました。

 

 

でも起こってしまった

壁紙の落書きを消すために

ネットでペンで描いた落書きを

消すことができる商品を

買おうと思いました。

 

 

 

でも、一度消すためのものを買うつもり。

そのネットのショップでは、

 

 

~どんな落書きでも消せるいろんな道具もついた最強セット~

 

 

みたいなのも売っていた。

 

私は最初・・・お!こんなのあるんだ~

 

と一瞬思ったけれど

そこで氣づきました。

 

 

今後のためにどんな落書きでも

消せるセットは買わない!と決めた。

この現実はこれ一回でおしまい!

 

という意思を宇宙に示すんだ。

 

 

 

 

『まず望む結果をそこで得る』

 

 

 

もうクリーナーを使う体験は私はしない

・・・という未来を創造する

 

 

ふつうは、備えて買っておく

 

⇒そうなるかもしれないことを自ら認めている

 

⇒それは望んでること?

 

⇒望んでない。でも望んでないのに、

認めているからそれが起こる。

 

⇒また対処

 

 

ふつうは、「あ~買っといてよかった」となって、

自分のそうなるかもしれない時のために

備えておくことの信念が強化される

それも自分が思った通りの

現実をつくっていることになる。

 

私はそれはやらない。

 

自己観察を精妙にやっていると

 

「またやってる!」と氣づけるようになる。

 

 

⇒自己観察が深くなっていっていること

根底にあるもの

 

⇒望まないものが必要のない世界

娘が嫌なことをわかってて言うこと。

前は自分が使った言葉によって

 

なにが起きたのかわかってなかった。

 

 

 

この前は、自己観察をして

その言葉によって壁にペンで

落書きをするという現実が起こった

 

 

こんなことが

毎回起こったらたまらない!

 

という実感があった。

 

もう本当にやめようと思った。

 

 

ただ人が嫌なことをするのは止めよう

 

と思ってるよりも強烈な実感を伴って

本当にやめようと思った。

 

だから、言いそうになったときには

「氣づける」ようになる。

 

 

だんだん、精妙に自己観察が

できるようになってきたと思う。

 

 

 

2009年の長い体験談を読んでいただいて、

ありがとうございました。

 

 

お疲れ様でした^^