自己観察:ずるい思考がなくなった時、ずるい人がいなくなる!

    
鏡として観る
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自己観察:ずるい思考がなくなった時、ずるい人がいなくなる!

こんにちは、平野香緒里です。

 

 

今日は、「鏡の法則」について書きたいと思います。

 

 

 

 

これは、本当に奥が深いなーと思います。

  

 

「自己観察」をしていくと、

慣れてくるとけっこう簡単に他人の嫌なところが

自分の鏡だと気づけるようになったりします。

 

 

でも、「自分の鏡だ・・」とわかっただけで、

どうすればいいの????

 

とその先がすすまなかったりすることが

あるかもしれません。

 

 

では、実際の鏡をイメージしてください^^

 

 

鏡として観る

 

 

 

自分の顔にご飯粒がついていたとして、

鏡に映っている自分の姿を観て

 

 

「あ、こんなところにご飯粒つけてる~!」

 

と気づきました。

 

 

鏡があったおかげで、

自分の姿に気づくことができました。

 

 

それで、気づいた後ってどうしますか???

気づいただけで、そのままですか?(笑)

 

そんなことないですよね

 

自分でご飯粒をとりますよね。

 

行動しますよね。

 

自分の顔から、ご飯粒をとったときに

初めて鏡に映った自分の顔からご飯粒がなくなります。

 

 

 

いくら、そのご飯粒に気づいた自分に

感動したとしても気づいて何もしなければ・・・

 

 

鏡の向こうの自分の顔から永遠に

ご飯粒がなくなることはありません。

 

 

当たり前ですが、

なかなかこれを

 

「現実を鏡として観る」

 

ということで「自己観察」していく中で、

 

 

あの嫌な人も私の鏡だった!

 

私も同じことをやっていたじゃん。

 

と、気づいたところまではいっても

 

「気づいたのに現実が変わらない!」

 

ことも多いですね。

 

 

でもそれはあくまでも、鏡に映った自分を見て、
ご飯粒がついているのに気づいたという段階です。

 

 

 

さあ、気づいたらそのご飯粒、

 

取りましょう!!^^

 

行動しましょう!!

 

 

 

あの、えらそうに書いていますが、

全部わたしが経験してきたことですので

 

安心してついてきてください。^^

(今だって、そんな時あります)

 

 

ちょっと話はずれますが、

 

行動できない自分

 

またそれも嫌になりますよね。

 

 

ご飯粒にきづいたのに、なんで取らないんだろう。

 

 

そんな時は、取らないほうが自分にとって僅かでも、

メリットになる別の理由(価値観)があるのですね。

 

だから、取らない。

 

 

ご飯粒に気づいても取らない選択を

自分でしているのです。

 

 

話を元に戻します・・・^^

 

 

次に具体的な例をあげてみますね。

 

 

たとえば、Aさんがアルバイトで

時給1000円で働いていたとします。

 

 

時間給が決まっているので、ちゃんと働こうと、

わからないように手を抜きながら働こうと、

 

とりあえず、1時間あたり1000円はもらえます。

 

 

もし、Aさんがそういう

 

「わからないように手を抜きながら働いていた」

 

とします。

 

ある時、Aさんがずるい人を見て

すごいネガティブな感情がでたとします。

 

 

「怒り」の感情かもしれません。

 

 

自己観察は、ネガティブな感情が起こったときに、

どういうことを信じているから、その感情を感じたのか?

 

ということを最初に観察をしていきます。

 

 

「自己観察」をしていくと、

 

ずるい意識が自分の中にもあったと気づきました。

 

それまでの「価値観」は

 

「どうせ同じお金なら楽した方が得だ」

 

というものですね。

 

 

で、目の前に現れた「ずるい人」のおかげで

自分の中のそういう「ずるい価値観」に

気づくことができました。

 

 

その段階というのは、

繰り返しになりますが、

 

 

鏡に映った自分を見て、

自分の顔にご飯粒がついていることいることに

気づいた段階です。

 

 

自分の顔からご飯粒をとれば、

鏡に映った自分の姿からもご飯粒はなくなります。

自分の中にある

 

 

 

「価値があると信じていること」=価値観です。

 

 

 

その価値観がある限り、

 

現実にはその価値観が反映された

出来事を体験することになります。

 

 

 

つまり、鏡だと気づいても

 

「どうせ同じお金なら楽した方が得だ」

 

という価値観を自分が良し!としている限り、

 

「ずるい人」は現れるということです。

 

 

その度に、「怒る」自分を体験することになります。

 

 

じゃあどうすれば、いいの?

 

そうですよね。。

 

こう考えてみてください。

 

 

 

もし、そのずるい人を鏡として観て

 

自分の中の「価値観」に気づき

 

でもその「価値観」はまだもっていたい。

 

と思ったとします。

 

 

この場合だと、

 

「どうせ同じお金なら手を抜いて楽した方が得だ」

 

というものですね。

 

 

この価値観は、自分でやっぱり正しいと思えば

ずるい人を今後も自分の人生の中に現れ続ける

ということを

 

「選択した自分」を自覚しないといけません。

 

その価値観をまだ持っていたいか

手放すか決めるのは

 

Aさんの自由です。

 

 

 

どちらでもいいのです。

 

でも自分で選んだ選択によって、

 

自分が創造する現実も変わってくる

 

ということなんです。

 

 

そこで、

 

「あぁ、自分はこんなずるい価値観をもっていたんだな。

やっぱり同じ1時間でも精一杯仕事をやろう!」

 

 

と思ったとします。

 

 

そして日々、自分で工夫して仕事に

楽しみを見つけて手を抜かずに精一杯働きました。

 

だんだんAさんは、そういう自分が好きになり、

つまらないと思っていた仕事が

楽しいと思えるようになりました。

 

会社の人からも仕事ぶりを評価されて

時給がアップしたりするかもしれません。

そんな中、Aさんの価値観が

 

「仕事は創意工夫して精一杯やること」

 

に価値があると信じるようになりました。

 

 

 

Aさんの中の仕事に対する価値観が変わりました。

仕事だけでなく何事にも手を抜かず楽しんで

目の前のことを創意工夫してやるようになりました。

 

自分の中の「ずるい思考(価値観)」がなくなった時に、

 

自分の目の前から「ずるい人」がいなくなります。

 

厳密にいうと、他の人からみたら

「ずるい人」は存在するでしょう。

 

でも価値観の変わったAさんにとっては、

その人を「ずるい人だ!」と思い怒りがでることは

なくなるということです。

 

 

自分の中の価値観に気づいて、

相手の人に感謝できる自分になって

手放してすぐに現実が変わることもあります。

 

 

 

でも、自分の中の価値観が変わるまでに

時間がかかることもあるのです。

 

 

現実は、その値観が

 

反映された出来事を体験します。

 

 

こうやって考えていくと、

 

本当に「鏡」として観ることは

奥が深くておもしろいと思いませんか?^^

 

 

 

「自己観察」を何度も繰り返しやりマスターしていくと

本当に人生が根本から変わっていきます。

 

自分の中の望まない現実を創っている

信じていた「価値観」に気づかせてくれた

 

目の前に現れた出来事や嫌な人に

 

感謝の気持ちが湧いてくるまでになったら、

 

OKです!!^^

 

 

少しずつ、天命・天職が見えてきます。

 

 

深い、感謝と感嘆と喜びとともに・・・