自己観察:「ひび割れ壷」の感動のストーリー

    
花が咲いている道
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自己観察:「ひび割れ壷」の感動のストーリー
こんにちは、平野香緒里です。

 

 

今回は、ご存知の方も

いらっしゃるかもしれませんが、
 
 
「ひび割れ壺」の感動のストーリーを
ご紹介したいと思います。
 
 
私は、以前知的障害と発達障害をもつ
子供とその家族をサポートする
仕事をしていました。
 
 
その事業を立ち上げる前に
このお話をネットで知り、感動しました。
まずは、こちらを読んでみてください(^^)
 
 
 

まっすぐ続く道

 

 
 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
インドのある水汲み人足は
二つの壷を持っていました。
 

天秤棒の端にそれぞれの壷を下げ、

首の後ろで天秤棒を左右にかけて、
彼は水を運びます。
 

その壷の一つにはひびが入っています。

 

もう一つの完璧な壷が、

小川からご主人様の家まで
一滴の水もこぼさないのに、
 

ひび割れ壷は人足が水をいっぱい
入れてくれても、
ご主人様の家に着く頃は半分に
なっているのです。
 

完璧な壷は、いつも自分を

誇りに思っていました。
 
何故なら、彼が作られたその本来の目的を、
彼は常に達成する事が出来たからです。
 
 
 

そして、ひび割れ壷はいつも自分を

恥じていました。
 

何故なら、彼は半分しか達成する事が
出来なかったからです。
 

 

二年が過ぎ、

すっかり惨めになっていたひび割れ壷は、
ある日、川のほとりで水汲み
人足に話しかけました。
 

「私は自分が恥ずかしい。
そして、あなたにすまないと思っている。」
 

 

「何故そんな風に思うの?」

水汲み人足は言いました。
 

「何を恥じてるの?」
 

 

「この二年間、私はこのひびのせいで、

あなたのご主人様の家まで水を半分しか
運べなかった。
 

水が漏れてしまうから、

あなたがどんなに努力をしても、
その努力が報われることがない。
 
私はそれが辛いんだ。」
壷は言いました。
 

水汲み人足は、

ひび割れ壷を気の毒に思い、
そして言いました。
 

「これからご主人様の家に帰る途中、

道端に咲いてるきれいな花を見てごらん。」
 

天秤棒にぶら下げられて丘を登っていく時、

ひび割れ壷はお日様に照らされ美しく咲き誇る
道端の花に気付きました。

 

 

花が咲いている道

 

 
 
花は本当に美しく、壷はちょっと
元気になった気がしましたが、
 
 
ご主人様の家につく頃には、
また水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、
水汲み人足に謝りました。
 

すると彼は言ったのです。
 

 

「道端の花に気付いたかい?

花が君の側にしか咲いていないことに
気付いたかい。
 

僕は君から零れ落ちる水に気付いて、
君が通る側に花の種をまいたんだ。
そして君は毎日、僕たちが小川から
帰る時に水をまいてくれた。
 

この二年間、僕はご主人様の食卓に
花を欠かした事がない。
 

君があるがままの君じゃなかったら、
ご主人様はこの美しさで家を飾ることは
出来なかったんだよ。」
 
(作者不詳 菅原裕子訳 原文ママ)
 
 
※【人足】にんそく
荷物の運搬や普請(工事)などの
力仕事に従事する労働者。
 
 
 
私達は皆、それぞれユニークな
ひび割れを持っています。
 
 
私達は皆、ひび割れ壷なのです。
あなたのひび割れを恐れてはいけません。
 
 
私達の弱みは、そのまま強みであることを
忘れないでください。
 
 
私達は子供達の為にどんな花の種をまけるでしょう。
ひび割れを責めるかわりに・・・。
 
 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 

これを訳された菅原さんの上記の言葉を

当時自分でも大切に思いながら、
私は障害をもつ子供たちとその家族の方たちと
関わっていました。
 
 
私は、自己観察を実践してから、
あらたな角度からこのストーリーを
観ることができました。

 

 
ひび割れ壺は、
完璧な壺の存在があったために
 
 
「比較」が生まれ「惨め」
感情になった。

 

 
 
完璧な壺も
 
ひび割れ壺の存在があったために
 
「比較」「誇らしく」自分のことを
思えていたのだなと思います。

 

 
他の存在がいることによって
感情が生まれるのですね。
 
ひび割れ壺の方に
 
フォーカスしてみると価値観は、
 
「自分の本来の役割を果たしていない=無価値」
 
だったのではないかなと思います。
 

大事な人に自分は今こういう状態だ

ということを素直に伝えること。
 
 
私は新たに感情を伝えることの
大切さに気づきました。
 
 
そうしたら、もっとはやく自分の存在価値に
気づけたかもしれない。
 
 
そして他の存在があるから
自分が惨めになることができ、
惨めになれたことで、また他の存在によって
自分の存在価値に気づけた。
 
 

「惨め」になるという経験

ひび割れ壺にとって
必要なことだったのだな
と思います。

 

 

私がこの仕事をなんのためにやっているのか?

 

 
私の役割は
 
ご主人様に完璧に水を運べない
自分は無価値であるという価値観、つまり
 
受講生が信じている
 
限定した思い込みに対して、
 
花の種を蒔くことで別の角度から
「花を見てごらん。
 
ご主人様を喜ばすことができるのは
あなたの存在が必要なんだ」
 
新たな価値観に転換するヒントを
与えることなんだと思います。
 
私自身が、「ひび割れ壷」でしたから。
 
 
自己観察によって、自分を全肯定できた経験を
何度も何度もしてきました。 
 
 

もし私が今、水汲み人足が花の種を

蒔いてくれたことを知った後の
「ひび割れ壺」だとしたら・・・
どのように感じるか?
 
 
あぁ、このままの自分でも
私はご主人様の役に立てていたんだ!
 
 
ご主人様を喜ばすことができる自分なんだ!
 
 
水汲み人足が、新たな自分の
存在価値に気づかせてくれた。
 
 
大きな感謝と感動が
湧きあがってくると思うのです。
 
そして完璧な壺に
引け目を感じなくなった。
 
自分の存在価値に気づけたのは、
水汲み人足の存在とともに
そもそも完璧な壺の存在が
あったからなんだ・・・と、
 
 
完璧な壺にも
花を見て喜んでくれるご主人様にも
 
 
どんどんどんどん感動と感謝の気持ちが
深く広くがっていくのだろうと思います。
 

自己観察で出来事から

体験した意味を読み解き、
 
 
どういう意識がその現実を創ったのかを
理解していきます。
 
 
無意識を意識化するのです。
 
 
それって感動と感謝が
 
より深いボリュームで味わうことが
 
できるようになります。(^_^)
 
 
 
 
それを実感できる人生にしていきましょう。