【自己観察体験談】現実の出来事から観察をしていくと見えてくるもの

  
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【自己観察体験談】現実の出来事から観察をしていくと見えてくるもの

天命・天職が見えてくる
自己観察の専門家

平野香緒里です。

 

 

今日は、「現実の出来事から観察をしていくと見えてくるもの」


いうことについてお伝えしていきますね。

 

 

まずは、体験談から先にお伝えします。

 

 

具体抽象

 

 

少し長い文章になりますが、

4分ほどで読めると思います。

 

 

日常生活の中で些細なことでも
いろんな感情が湧いてきますね。

 

 

たとえば、私は
10代後半から30代後半まで

 

「タバコのポイ捨てを見てムカついた」

 

体験を何十回、何百回としていました。

 

 

 

どう考えたって、そういう
マナー違反をした人が
悪いとしか思えませんでした。

 

でも

自己観察に出会ってからは、

こんな日常のささいな

 

「たばこのポイ捨てを見てムカついた」

 

という出来事から、
本当にびっくりするような
癒しの体験にたどりついたのです。

 

 

 

日常の体験で

 

「ネガティブな感情」が
でることによって

いろんなことが
読み解けていけたのです。

 

 

先ほどの「タバコのポイ捨て」の
話にもどしましょう。

 

 

タバコのポイ捨ての現場を見て、

「怒った」と

大きく捉えてしまうと

何に怒ったのかが正確にわかりません。
 

 

「怒り」の中身を観察していくと、

私の場合は、

 

「エリート風のステータスが
ありそうな身なりの整った人が

たばこのポイ捨てを
したところを見たときムカつく」

 

というものでした。

 

 

 

私が反応していたのは、

「タバコのポイ捨て」という行為自体ではなく、

「エリート」

いちいち反応していたのでした。

 

 

その元には、私の場合は、

 

「エリートが嫌い」

 

という価値観があることがわかりました。

 

 

 

 

そのような価値観が私の中に
あったから、

 

エリートっぽい人がタバコのポイ捨てを
するところを見た瞬間に、「怒り」が
でてきたのでした。

 

 

 

「怒り」の感情が湧いてくるプロセスが理解できました。

 

 

 

エリートが嫌いという価値観は

どこから、そしていつから出来たのかな?

 

 

それを観察していくと、

 

父との関係からでした。

父がまさにエリートでした。

 

 

父がエリートだって、
なんで「エリートが嫌い」

という価値観をもったのか?

 

 

 

さらに問題の本質の核にせまります。

 

 

 

弁護士の父が私の大切な友人を

助けてくれなかった
ことがありました。

 

 

と高校生の時に体験したことから、

そう捉えた私がいました。

 

 

 

 

高校3年の時、早々と
18才になった私の友人が

車の免許を取り、そして早速事故を
起こしてしまいました。

 

 

 

相手の方からいろいろと
要求されて、裁判にまでなり、

私の父が弁護士だと知っていた友人は、

私に助けを求めてきました。

 

 

 

もちろん、私は了承し、

 

父に

「私の大事な友人を助けてあげて」

と頼みました。

 

父も「わかった」と了承してくれたのです。

 

 

 

でも実際は、その件を担当したのは、

一番若手の弁護士さんでした。

 

 

 

父本人が、友人を助けてくれる
ものと思っていた私は

父がその友人の裁判に直接
関わってくれなかったことに、

悲しみがありました。

 

 

 

そして、それが大きな「怒り」
変わっていきました。

 

 

 

お金にならないことはやらないんだ。

 

 

 

お金を稼いでいる人たちは、

お金にならないことを
やらないから、お金持ちなんだ・・

 

 

 

という自分でつくった思いこみ

 

 

 

私は、絶対に父みたいな人とは
結婚しない!!

 

 

 

という、価値観もこの時できたのだと
確信しました。

 

 

 

そこから、もうどんどん
自分の中の解釈が飛躍して

 

 

「弁護士なんて、きらい!」

 

 

そして弁護士の方だけでなく、

裁判官の方たちにまで広がり

法曹界にとどまらず、

 

 

エリートっぽい人たち

会社の経営者で儲けている人、

政治家の方たち・・・お医者様・・・

どんどん拡大していき、

 

 

「エリートが嫌い」にまで

発展しました。

 

 

 

まぁ、小さな出来事から、

よくここまで大きく
拡大解釈したものです。^^;

 

 

 

でもこれもすべて無意識に
していたのでした。

 

 

こわいですね。

 

 

自己観察を深めていくと

 

「エリートが嫌い」

 

という価値観ができた理由がわかりました。

 

 

 

 

でも、問題の本質は

さらに奥にありました。

 

 

 

その「エリートが嫌い」
という価値観をつくった体験を

もっと観察していくと・・・

 

 

 

それが、大きな勘違いだった!

 

 

 

ことに気づきました。

そう、大人になった
今だったらわかること、

理解できることがあります。

 

 

 

父がとった態度は、
間違っていなかったのです。

 

父は、銀座の一等地で
弁護士事務所を構えていました。

常に父の事務所には

3人の弁護士さんたちがいました。

 

 

 

父がボスの立場で、これまで何人、

何十人もの弁護士さんたちが

父の事務所から巣立っていきました。

 

 

 

つまり、父は一番そこで
稼がないといけない立場の人でした。

 

 

 

銀座の高い事務所の家賃、

そして3、4人の弁護士さんや
事務員さんにお給料を払い、

そして自分の家族の生活費もあります。

 

 

 

父は、弁護士であり、
経営者でもあったのです。

 

 

父は父の役割があります。

父にしかできない仕事が
あったのでしょう。

 

 

 

それを考えたら、
私が高校の時にお願いした、

 

「私の友達を助けてあげて」とお願いした案件は、

 

一番若手の弁護士さんに任せた

ということにも納得できます。

 

 

 

それは、全然冷たい行為でも
なんでもありません。

 

 

 

父は、その時に弁護士に

なりたての人に、

できる役割を与えたのです。

 

 

 

それだって、結局父は、
直接やらなかったからといって、
その件を任せた若い弁護士さんに
指示はだしていたはずです。

 

 

 

実際、友人はちゃんと一番いいように
解決できていたのです。

 

 

友人には、とても感謝されました。

 

 

私は、当時は社会にも
出ていない高校生でしたので、

 

そんなことまで理解
できなかっただけなのです。

 

 

 

父の行動は、正しかったし、

 

愛ある行動だったと
わかったのです。

 

 

 

私は父との関係を
見直すことができました。

 

 

 

そして、その時にできた
「エリートが嫌い」という価値観は

 

今後もずっと持ち続ける必要のない
価値観だとわかりました。

 

 

 

20年ちかく
私の中に無意識にあった

 

「エリートが嫌い」という

 

 

私の価値観は、自分で納得し
感謝して手放すことができました。

 

 

 

私は父に対して
大きな誤解をしていたのです。

 

この「自己観察」をしていなかったら
永遠に気づかなかったことでしょう。

 

 

 

そのきっかけは
日常の中のささいな

「タバコのポイ捨てを見てムカついた」

という出来事だったのです。

 

 

 

イライラする現実を、
どうこうしようとしても
一向に解決しなかったことが、

 

 

自己観察をすることで、根本的な
私の中にあった価値観を
気づかせてもらったのでした。

 

 

 

その価値観が私の中から
なくなってから、

 

私はその後一切、
タバコのポイ捨ての現場には

遭遇しなくなりました。

 

 

 

もしかすると、見ているかも
しれないのですが、

私の感覚の中で「反応」しなく
なっているのだと思います。

 

 

 

以前はあれだけ、私の周りにはこんなに

マナーの悪い人ばっかりいるんだろう!!?

といつもイライラしていたのに。

 

 

 

私の中の日常から、そういった

「イライラ」や「怒り」がなくなったことは、

 

本当に大きな変化でした。

 

 

 

さらにさらに、父は冷酷な人

と自分が勝手に思っていたことが

本当は愛で溢れていたこと

父は、ちっとも冷酷な人ではなかった。

 

 

 

私は父にはスキンシップを求めていました。

 

 

それが「愛」だと思っていました。

 

 

 

でも父はハグとか頭をいーこいーこ
なんて一度もしてくれたことは
ありませんでした。

 

 

 

だから、「愛」がないと
思っていました。

 

 

 

でも、いつも毎晩一緒に夕ご飯を
食べていました。

 

 

 

週末もいつも一緒に過ごしていました。

それが当たり前だったので
なんとも思っていませんでしたが、

 

 

父にとっては、家族と一緒に過ごす時間を
大切にすること、

そして何不自由なく
生活できるようにすることこそが

「愛」の表現だったのです。

 

 

 

私がほしい形で愛を示していなかっただけで、

そこには大きな愛があったんだ。

 

 

ということ。

 

 

愛を受け取る

 

 

 

もう、それに気づいたときは、

何リットルの涙が
溢れ出てきたかわからないほど、

大泣きしました。

 

 

 

タバコのポイ捨てに毎回
反応する体験した意味がわかりました。

 

つまり、ここまで
父には深い愛があったことを

知るためでした。

 

 

 

もともとは、

「タバコのポイ捨て」を見て

ものすごい「怒り」がでた。

という体験から・・・

 

 

 

 

「感情」を入り口に
自己観察をしていくと

この体験をした本当の意味は、

父の愛に気づくことだった

 

ということだったのです。

 

 

 

ぜひ、感情の元を観察してみませんか?

 

 

 

大きな大きな発見と感動に
たどりつくかもしれません。

 

 

 

自己観察を知る前と

知った後では

まったく世界の捉え方、

 

 

自分が体験していることの

捉え方が変わり、

 

 

感動を深く感じることが
できるようになっていきます。

 

 

 

このトンネルの間を一緒に
掘り進んで光を見つけませんか?

 

 

 

今日はとても
長くなってしまいましたね。

ありがとうございました。