自己観察の実践:与えてもらっていた価値に気づけることが望む現実を生きるポイント

    
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自己観察の実践:与えてもらっていた価値に気づけることが望む現実を生きるポ...
こんにちは、
天命・天職が見えてくる
 
自己観察の専門家
平野香緒里です。
 
 
今日は
 
 
与えてもらっていた価値に気づくこと
 
書きたいと思います。
 
 
望む現実を生きるために
とても大切なポイントになると信じています。

 
 
自分にとっての当たり前が当たり前じゃないことに
気づくことは、とても大切だなと思っています。
 
 
プログラム受講生のセッションでも
過去の私の場合でもそうなのですが、
 
認めてもらっていないと思っている勘違い。
 
 
親から愛をもらっていないと思っている勘違い。
 
たくさんの恩恵は受けているのに
それは「当たり前」になっていて
 
感謝することだということにも気づけない。
 
 
これって、親の立場からしたら、
感謝してほしくてやっていることではないけれど、
子どもが親の思いを全然理解してくれていない状態。
 
 
こんな言葉はフィットしないかもしれないけれど、
親は子どもに認められていないということに
なるのではないでしょうか。
 
現に私は、
 
父がいつも平日でも休日でも夜8時には家で
晩ご飯を家族で食べるということに
 
価値を見出していませんでした。
逆に思春期の頃は、
 
うざったいなぁ~!なんて
ひどいことを思っていた時もありました。
 
父が家族と一緒にいる時間を大切にしていたこと。
 
そこに私は特別な価値を感じていなかったのです。
 
小さい頃からそれが、「当たり前」だったから。
 
 
 
それなのに父には愛がないと思っていました。
ちっとも認めてくれていないと思っていました。
 
 
あって当たり前のことは、
時に、自分の中でその価値を知らず知らずのうちに
低く見積もってしまうこともあります。
 
 
 
その反面、自分が「望むような」理想のカタチで
接してくれないと思いその時の怒りや悲しさを
ギュッと自分で握りしめて、
 
 
いろんな出来事をすぐ
「ほら、やっぱり私のこと認めてくれないんだ」
と自分のそう思っていることを
強化するような出来事ばかりに
敏感になってしまいます。
 
 
そのうちに認めてくれない親を
何十年も無意識で恨んでいることも
あったりします。
 
 
 
でも毎日毎日当たり前にしてくれていることに対して
それが感謝すること(既に認めてもらっていること)
ということに気づけていないまま
 
何十年も「恨み」続けていること
 
本当は、ちゃんと認めてくれていたのに。
 
 
 
本当に
 
意識と現実というのは、イコールだなと思います。
 
 
 
意識と現実
 
 
 
自分も親が既に子どもを認めてくれているということに
気づけていない状態
 
本当の親が与えてくれている価値を
認めていないから、自分が認められていないと
思うような現実を体験している。
 
それが、自己観察をやることによって
 
当たり前ではなくこれは親の愛だったのだなと
親が与えてくれていたことに
価値を感じることができたとき、(映写機=意識)
 
 
 
自分のことをちゃんと認めてくれていたのだな
愛はあったのだなと最初は、価値を感じることが
できなかった出来事の価値が高まる(スクリーン=現実)
 
 
 
 
価値を感じていない
「当たり前のこと」に対して
感謝できていない自分に対して、
 
現実が望まない現実の体験を通して
気づかせてくれるきっかけを与えてもらっている。
 
 
 
そのこと自体にも大感謝ですよね!!^^
 
 
体験の価値を高めること、それは、つまり
自分の過去(自分自身)の価値を高めること
 
につながっているのです。
 
 
 
自分の価値が高まったら、
自分の存在価値も高く感じることができて
 
そういう状態になったときは、
価値ある自分が大元となり、
価値ある現実を体験できるようになる
 
というしくみなのですね。
 
 
 
素晴らしい世界に生きていることに
とても感謝しています。
 
どんどん気づいていける自分になっていきましょう!