自己観察の実践:誰かに自分の幸せを依存していませんか?

    
権威の象徴の園長先生
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自己観察の実践:誰かに自分の幸せを依存していませんか?

先日、現在小学校3年生の娘が、
保育園時代の写真を見ていました。


私も懐かしく、一緒に見ていると
優しい眼差しの姿で写っている園長先生を
見つけました。


娘が保育園時代に
園長先生との出来事を
自己観察したことがあったなと
思い出しました。

その頃の自己観察を再度読んでいたら、

 

私は世間的に
「権威ある人」に対して


私独自の価値観を持っていたのだなと
これも父からつながっていた
捉え方だったのだろうと思いました。


今日は、その自己観察を再度
ご紹介しますね。


2010年の初めに体験した娘の通う保育園での
出来事とその時の自己観察から
学んだ気づきです。

 

 

その時に書いていた気づきを得たそのままの文章を

書いています。

 

読みづらいかもしれませんが、

すみません。


とても怒っていた私が
感謝に変わっていく様を・・・

お楽しみください^^


どんな出来事があったかといいますと、



地域のゴミ置き場が歩道にあってそれが、
保育園の近くなので

園児とお母さんはそれを避けて
車の通る道にでて通らないといけないので危険。

ある日実際に園児が車道にでた時に
車が曲がってきて危なかったので、
そのことを園長先生に言った。


園長先生は

「園に苦情を言われても困ります」

「地域のことでさんざん行政とも話し合って
結局場所がないのでジャマにならないように
歩道にゴミをだすスペースを設けるしか
なかったのですから」



私は「園に苦情を言われても困ります!」
の一言に「カチン」ときていた




どんな感情が湧き起こったかというと


「不満」「怒り」


 

それは、どんなことを信じているからか?

自分の中にどんな価値観が当たり前のように存在しているのか?


権威ある人はなんとかしなければいけない

園は登園中も園児を守らなければいけない

権威ある人は紳士的な態度でなければいけない




私は園長先生は、権威ある人だと思っている。

保育園では最高の責任者だから。

権威の捉え方
私は偏っていたのかもしれない

園長先生に頼めば何とかしてくれると期待していた。

実際に何とかしてもらえないと⇒不満


目の前の状況や問題を解決できるのは
「園長先生だ」と思っている



ということは、

私にはこの状況を変える力がない

と思っているということ


この状況を変えるということよりも
このことに対する自分の中から出てきた
「感情」を
「絶対安心」に変えるのは
園長先生次第だと
思っていたということ

私の幸せは、園長先生の態度や行いによって
決まりますよ!

と無意識で思っていたのですね。


それは、園長先生に

自分の幸せを依存していた

ということなのです。


こういうふうに改めて書くと

え!?

と思いますよね。^^;


私って自分の幸せになる責任を
園長先生に預けていたの??


びっくりです。



園長先生が、

「私もなんとか行政にもう一度働きかけてみます!」

と私の訴えたことに同意してくれて

そんなふうに言ってくれたら満足と感じたのだろう。


でもそれ以外の答えだったら、

私は満足できず、「不満」に思っていただろう。


文句を言っている状態

文句や苦情を言った感は
自分でなかったのだけれど、



私の訴えを理解してほしい、
私の意見に同意して欲しい

とは思っていました。


権威ある人になんとかしてもらおう
と思っている=依存



園長先生になんとかしてもらわないと、
子供の身の危険は守れない



本当にそう??


今までは、その場所で一回も事故は
起こったことはないそうだ。


そして、園児が通る道すべて、
登園の際になにかあったら園長先生の責任なの?


親は何のために一緒に登園しているの?


そんなことを考えていくと、
私は気づきました。


私は、園長先生になんとかしてほしいと

自分は無責任な立場に居つづけよう

していたのです。



それから、

もし園長先生が穏やかに

「お知らせありがとうございます。そうなんですよね。
本当にあそこは私も危険だと思って行政にも
働きかけたのですけど、

あの場所以外にゴミを置くスペースがない
ということで住民の皆さんにもなるべく歩道を
ふさがないようにゴミをだすということで決まったのですね。

 

だから登園する際は、申し訳ありませんが、
お母様がお子さんの手をしっかりと引いて
注意をして通園していただければ助かります。」



なんて言われていたら、

たとえ状況が変わらなくても

あんなに私の中から怒りや不満は
でてこなかっただろう。



園長先生の言い方によって
その「怒り」や「不満」の感情がでたということ。


また私の中には

園長先生=権威ある人は紳士的な態度でなければいけない

という価値観がありました。


私の理想の権威ある人とは、
温厚で、マナーがよくて、威張っていない人(謙虚な人)


その反対のタイプの
権威をふりかざしている人は嫌いなのでした。

実際には、園長先生は権威をふりかざしては
いなくて、私がそういう捉え方をしていた

ということですね。


でも・・・私は当時4歳の娘を怒っていたとき、
親の権威を振りかざしていたのです。


ものすごく今私、コントロールしようとしているな
と自分でもその言葉を言っているときに瞬時に

自分がしていることがわかって、
やめたことがありました。


私は娘に命令していました。


「はやく~しなさいよ。」

「今やらなかったら、~しちゃダメだからね。」


とこれは完全に脅迫だ・・(^^; 

なにもそんなにコワーく低~い声で言うことないのに。


そんな言い方をされたら、娘は嫌な気分だろう。


もっと同じことを伝えるのでも
言い方があるだろうと思います。


私はそれまでも、娘からいろいろと
大事なことを教わってきました。


どれだけ私の助けになってくれただろう。


どれだけ、存在しているだけで
喜びを与えてくれているのだろう。



いつも娘には、感謝をしています。


ただ時々、自分の状況が他のことで
いろいろあってイライラしていたのを

娘にぶつけてしまっている私がいました。



園長先生がちがう言い方をしていたら、
ネガティブな感情は感じなかった。

という状況


園長先生だって、ふだんはとても温厚な方だ。
いつもニコニコ子供たちに声をかけてくださっている。


どんな人だって、いろんな状況があるのだ。


私は人にだけ勝手に自分のつくりあげた
「理想の状態」を求めていた。



完璧さを求めていました。


これも「傲慢」な私の態度であったのです。



自己観察をしなければ


漠然と


園のすぐそばの道路のことなのに
園長先生は園児を危険から守ることをしないで無責任だ。


(実際は、自分の親としての責任を
転嫁していることに気づかない状態)


ただ危険な状況があった
ということを報告しただけなのに



なんで「苦情を言われても困ります!」
なんていう態度をとるのか、信じられない。


もうちょっと言い方があるでしょう???


と・・・・怒りと不満の感情で
煮えたぎったままだったでしょう。



(自分のことを棚にあげて人にだけ完璧さを求めている状態)


もうどうしょうもないな私です(^^;


自己観察をすると、
本当に自分のことがよくわかるものです。

まる裸です・・・(笑)


気づいてしまうと、
謙虚な自分が、ピュアな自分が
やっと顔をだしてきます。


何に対して私は怒っていたのか?
ということもよくわからないで

実際に嫌な思いを持ち続けていることが多いですね。




何に対して怒っていたのだろう?
と客観的に自己観察をすると

大抵、いや・・大抵でなく例外なく


やっぱりそのネガティブな感情が
でてきたのは、誰のせいでもなく、
自分が創り出したのだとわかります。


この出来事からも本当にいろいろと
学ばせていただきました。


もちろん気づいた過程で
私の怒りの感情はなくなりました。

煮えたぎるほど(笑)
怒っていた私は、なんだったのでしょう!


恥ずかしい~^^;

園長先生には本当に感謝しています。


そして、本当に不思議なことに
感謝の気持ちを園長先生に抱いた後は、


園長先生が、ひとりで真夏の暑いときに
保育園の隣の敷地の畑で園児たちが
育てている野菜をいとおしそうに
手入れしている姿を見たり、


子供たちに優しいまなざしで
いつも声をかけている姿を見たり・・・


そして、娘が風邪でお休みする連絡をした時に
とっても優しい言葉をかけていただいたりと・・・


感謝の気持ちに満たされていると

感謝したくなる状況しか体験しなくなるんだなーと



改めて実感しました。

幼稚園児


そんな体験と自己観察からの気づきでした。

私の傲慢さをまたまた披露してしまった
自己観察でしたが、


自己観察をする過程で、
どんどん気づきデトックスが浄化されていく様子を
感じていただいて少しでも参考にしていただければ
嬉しいです。

ありがとうございました。